| Home |
2008.11.24
田母神論文のどこがアブないのか(2)
●どーも。
うーん ネタはあるんですけど
ブログがなかなかすすまないですね。
仕事で人を待たせているのが
とてもつらかったりする。
いろいろ。はらはら。
●で、田母神論文ですが、
予告したからには
続けないといけないでしょう。
えー。
田母神論文が引き起こした、
あるいは明示化した
わたしが考える本質的な問題はなんだったか、ですね。
●まずざっくりというと、
田母神論文を見て
危機感を覚えるべきは、
「日本は侵略国家ではなかった」
という彼の主張に共感する
いわゆる右の人たちだと思うのです。
これだけ雑に議論が展開されると、
いわゆる左の人は
明々白々で致命的な
事実誤認とロジック展開の誤りばかりを
批判に集中して
それで論文が全否定されるとして
終わりになるでしょうし、
(実際、アカデミックなレベルでは
それで十分すぎるほど、
田母神論文はどうしようもない
論議展開をしています)
一方、いわゆる右の人は
いや、
「日本は侵略国家ではなかった」
というメインテーマは間違っていない、
弾圧はおかしいと
という大雑把な上からだけの議論になって、
永遠にお互いの議論が
かみ合わないでしょう。
そこで埋没するのは、
「確かにあの戦争は
日本はするべきでなかったが
東京裁判にはこういう悪いところもある」
とか
「日本の植民地支配には
悪いところもあったが
インフラ・教育などの投資で
いい面もあった。」
という 微妙かつ健全な議論が吹き飛んでしまうことです。
あんな穴だらけ、事実誤認だらけの
論文を出されたら、
マトモな議論もすべて
論文の評価では
感情的にも論理的にも吹き飛んでしまう。
ということに
右の人は、
第一の懸念を持つべきではないのか。
言論弾圧だ、
とかいっている人は
まるっきりピントはずれだと思います。
● たとえば、
「日本の植民地支配には
悪いところもあったが
インフラ・教育などの投資で
いい面もあった。」
というのは、
韓国でも台湾でも、
わたしは紛れもない
一面だと思います。
とくに台湾の植民地支配はその側面が強かった。
詳しくは省きますが、
台湾の植民地支配を視察した
中国国民党自身が1937年に発表した
報告書で、日本の支配下の経済発展に
驚嘆して、賞賛している。
なぜわれわれはそれができなったのか、と。
(「台湾」伊藤潔、中公新書、1993)
一方、たとえば満州なんか、
軍人の残した
一次資料なんかを見ていると、
もう ドはじめから 資源がない日本が
戦争遂行のための資源を得る場所、
あるいは困窮した日本の農民を
大量に導入して開拓させる場所としてしか
満州をみてないわけです。
若い大蔵官僚なんかは
概念的な王道楽土の理想に燃えた人もいたが
全体をみると日本人の
現地の人への差別意識、
経済的な収奪は否定しようがない。
日本軍が南下して日中戦争が始まると
エスカレートするとさらに
輪をかけて陸軍の行動は
むちゃくちゃになりますが、とりあえず割愛。
いろいろ法律的な議論や
部分的な論はこねくりまわせるかもしれませんが、
●堅固な事実関係を抑えて
●全体をとらえて
●感情的な相手をも説得できる
ロジックで
(つまり自分が逆の立ち場になっても
説得できる)
議論しないと何をいっても
永遠に不毛でしょう。
●一方、
戦争も、植民地支配も、
日本のリーダーたちの決断の連続も、
日本の陸軍将校の心情も、
いわゆる「右」や「左」の議論として
よく総括されるほど
単純では絶対にないですよ。
だからこそ、
感情的な議論が
延々と60年以上続くわけです。
感情的、
解決不能な対応は
議論に入らないようにすべきです。
それも決してデータや事実の一側面だけを
都合のよいように
取り出して議論しないようにしないと、
どうしようもない。
その点で、田母神論文は
もう「論外中の論外」です。
そういうことを指摘する
右の人がいないのが
どうもわたしは気になります。
●こういう微妙な、感情的な議論を
田母神氏がどういう発想・感情で
扱っていたのか
端的に示す場面がありました。
わたしが一連の報道を見て、
頭を抱えてしまった場面でもあります。
11月11日参議院 外交防衛委員会に
参考人招致されたときの発言ですね。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081111/plc0811111402031-n2.htm
田母神氏:
「あのー、日本にはですね、今、日本の国が悪かったという論が
多すぎるというふうに思います。
そして今、歴史を見直すということで、
日本の国はいい国だったという見直しがあってもいいんではないかと
そういう論文を募集しているから、勉強になるから、ということで紹介をいたしました。
それで私も今回びっくりしてますのは、
日本の国はいい国だったと言ったら、解任をされたと。
そしてまた、責任の追及も、いい国だと言ったような人間を
なぜ任命したんだといわれる。すると…いいですか? しゃべっていいですか?」
●ああ、やっぱり。
この程度の発想で書いてたのか、と。
「日本はいい国ではない」
といわれて不快にならない
日本人はいないでしょう。
でもそれは相手側、たとえば中国でも韓国でも同じでしょう。
歴史は、
「いい国」
とか
「悪い国」
とか
「いい国と言わないからケシカラン」
そんな単純なモノでは、
絶対にないんですよ。
感情も含めて、
もっともっと複雑なんですよ。
だから歴史に関して
こんな単純に、感情的に、
一方的に断言・断罪する人は、
まず疑ってかかるといいと思います。
●で、見てわたしが憂鬱になったのは。
先のサンケイ新聞記者ブログを
はじめとして結構 コメンテーターにも、
田母神論文についても
このレベルの議論をする人が
結構いるみたいです。
つまるところ彼らは
論文の論理中身はともかく、
タイトルで示された
「日本は侵略国家ではなかった」
というテーマ自身は間違いではない、と
その点に共鳴しているではないでしょうか。
この人たちには二つの可能性があります。
ひとつは、論文の中身を読まずに
タイトルだけでなんとなく
共鳴して声をあげている人、
間違った事実認識部分なんか
全然 読んでない もしくは
全然 ロジック構造自体を理解してないのに
結論だけに共鳴している、という人。
あわてもんが多い
国会議員とかに結構いそうです。
もうひとつは、
間違いは確かにひどいと認識しているが、
「日本は侵略国家ではなかった」
という趣旨は間違っていないじゃないか、
それを弾圧するのは
けしからんではないか、というパターンですね。
コメンテーターにこういう趣旨の発言をしている
人が確かにいたと思います。
●このどちらの人の論理展開もおかしい。
歴史は、
そんな結論ありきで
解決できるほど
事実的にも感情的にも、
単純じゃない。
そういう議論がそのままに野放しになっている。
というのが論文をめぐる
本質的な問題だと思うのです。
長くなったなあ。
なんかまとまっていないかも
知れませんが。とりあえず。
うーん ネタはあるんですけど
ブログがなかなかすすまないですね。
仕事で人を待たせているのが
とてもつらかったりする。
いろいろ。はらはら。
●で、田母神論文ですが、
予告したからには
続けないといけないでしょう。
えー。
田母神論文が引き起こした、
あるいは明示化した
わたしが考える本質的な問題はなんだったか、ですね。
●まずざっくりというと、
田母神論文を見て
危機感を覚えるべきは、
「日本は侵略国家ではなかった」
という彼の主張に共感する
いわゆる右の人たちだと思うのです。
これだけ雑に議論が展開されると、
いわゆる左の人は
明々白々で致命的な
事実誤認とロジック展開の誤りばかりを
批判に集中して
それで論文が全否定されるとして
終わりになるでしょうし、
(実際、アカデミックなレベルでは
それで十分すぎるほど、
田母神論文はどうしようもない
論議展開をしています)
一方、いわゆる右の人は
いや、
「日本は侵略国家ではなかった」
というメインテーマは間違っていない、
弾圧はおかしいと
という大雑把な上からだけの議論になって、
永遠にお互いの議論が
かみ合わないでしょう。
そこで埋没するのは、
「確かにあの戦争は
日本はするべきでなかったが
東京裁判にはこういう悪いところもある」
とか
「日本の植民地支配には
悪いところもあったが
インフラ・教育などの投資で
いい面もあった。」
という 微妙かつ健全な議論が吹き飛んでしまうことです。
あんな穴だらけ、事実誤認だらけの
論文を出されたら、
マトモな議論もすべて
論文の評価では
感情的にも論理的にも吹き飛んでしまう。
ということに
右の人は、
第一の懸念を持つべきではないのか。
言論弾圧だ、
とかいっている人は
まるっきりピントはずれだと思います。
● たとえば、
「日本の植民地支配には
悪いところもあったが
インフラ・教育などの投資で
いい面もあった。」
というのは、
韓国でも台湾でも、
わたしは紛れもない
一面だと思います。
とくに台湾の植民地支配はその側面が強かった。
詳しくは省きますが、
台湾の植民地支配を視察した
中国国民党自身が1937年に発表した
報告書で、日本の支配下の経済発展に
驚嘆して、賞賛している。
なぜわれわれはそれができなったのか、と。
(「台湾」伊藤潔、中公新書、1993)
一方、たとえば満州なんか、
軍人の残した
一次資料なんかを見ていると、
もう ドはじめから 資源がない日本が
戦争遂行のための資源を得る場所、
あるいは困窮した日本の農民を
大量に導入して開拓させる場所としてしか
満州をみてないわけです。
若い大蔵官僚なんかは
概念的な王道楽土の理想に燃えた人もいたが
全体をみると日本人の
現地の人への差別意識、
経済的な収奪は否定しようがない。
日本軍が南下して日中戦争が始まると
エスカレートするとさらに
輪をかけて陸軍の行動は
むちゃくちゃになりますが、とりあえず割愛。
いろいろ法律的な議論や
部分的な論はこねくりまわせるかもしれませんが、
●堅固な事実関係を抑えて
●全体をとらえて
●感情的な相手をも説得できる
ロジックで
(つまり自分が逆の立ち場になっても
説得できる)
議論しないと何をいっても
永遠に不毛でしょう。
●一方、
戦争も、植民地支配も、
日本のリーダーたちの決断の連続も、
日本の陸軍将校の心情も、
いわゆる「右」や「左」の議論として
よく総括されるほど
単純では絶対にないですよ。
だからこそ、
感情的な議論が
延々と60年以上続くわけです。
感情的、
解決不能な対応は
議論に入らないようにすべきです。
それも決してデータや事実の一側面だけを
都合のよいように
取り出して議論しないようにしないと、
どうしようもない。
その点で、田母神論文は
もう「論外中の論外」です。
そういうことを指摘する
右の人がいないのが
どうもわたしは気になります。
●こういう微妙な、感情的な議論を
田母神氏がどういう発想・感情で
扱っていたのか
端的に示す場面がありました。
わたしが一連の報道を見て、
頭を抱えてしまった場面でもあります。
11月11日参議院 外交防衛委員会に
参考人招致されたときの発言ですね。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081111/plc0811111402031-n2.htm
田母神氏:
「あのー、日本にはですね、今、日本の国が悪かったという論が
多すぎるというふうに思います。
そして今、歴史を見直すということで、
日本の国はいい国だったという見直しがあってもいいんではないかと
そういう論文を募集しているから、勉強になるから、ということで紹介をいたしました。
それで私も今回びっくりしてますのは、
日本の国はいい国だったと言ったら、解任をされたと。
そしてまた、責任の追及も、いい国だと言ったような人間を
なぜ任命したんだといわれる。すると…いいですか? しゃべっていいですか?」
●ああ、やっぱり。
この程度の発想で書いてたのか、と。
「日本はいい国ではない」
といわれて不快にならない
日本人はいないでしょう。
でもそれは相手側、たとえば中国でも韓国でも同じでしょう。
歴史は、
「いい国」
とか
「悪い国」
とか
「いい国と言わないからケシカラン」
そんな単純なモノでは、
絶対にないんですよ。
感情も含めて、
もっともっと複雑なんですよ。
だから歴史に関して
こんな単純に、感情的に、
一方的に断言・断罪する人は、
まず疑ってかかるといいと思います。
●で、見てわたしが憂鬱になったのは。
先のサンケイ新聞記者ブログを
はじめとして結構 コメンテーターにも、
田母神論文についても
このレベルの議論をする人が
結構いるみたいです。
つまるところ彼らは
論文の論理中身はともかく、
タイトルで示された
「日本は侵略国家ではなかった」
というテーマ自身は間違いではない、と
その点に共鳴しているではないでしょうか。
この人たちには二つの可能性があります。
ひとつは、論文の中身を読まずに
タイトルだけでなんとなく
共鳴して声をあげている人、
間違った事実認識部分なんか
全然 読んでない もしくは
全然 ロジック構造自体を理解してないのに
結論だけに共鳴している、という人。
あわてもんが多い
国会議員とかに結構いそうです。
もうひとつは、
間違いは確かにひどいと認識しているが、
「日本は侵略国家ではなかった」
という趣旨は間違っていないじゃないか、
それを弾圧するのは
けしからんではないか、というパターンですね。
コメンテーターにこういう趣旨の発言をしている
人が確かにいたと思います。
●このどちらの人の論理展開もおかしい。
歴史は、
そんな結論ありきで
解決できるほど
事実的にも感情的にも、
単純じゃない。
そういう議論がそのままに野放しになっている。
というのが論文をめぐる
本質的な問題だと思うのです。
長くなったなあ。
なんかまとまっていないかも
知れませんが。とりあえず。
| Home |

